参加家族の事例

参加している家族の事例

 

・福島県在住の遺族のAさんの事例

平成24年11月27日、Aさんは一人息子Bさんを亡くしました。勤めていた建設機械販売会社の修理工場の中で、自死しているのを、会社が契約している警備会社の人に発見されたのです。24歳でした。

Bさんは小さいころから車が大好きで、高校卒業後、専門学校の自動車整備科に入り、国家資格も取り、自動車整備士となりました。車よりも大きく複雑な構造の建設機械に魅力を感じたのか、建設機械の整備士になりました。就職後は、まず郡山営業所に配属されたのですが、1年ほどで南相馬営業所に転勤となりました。それが、Bさんが過労自死することになる発端でした。

その南相馬営業所には、通称「井の中の蛙」「お山の大将」と揶揄されるくらいの、自分は営業所の中で一番偉いのだから何をしても許される、と自分の立場を勘違いし、部下に対して威張り散らし、言いたい放題・やりたい放題を繰り返すとんでもない営業所長がいたのです。その所長が嫌で辞めた人がいたために欠員が出て、Bさんが転勤を命ぜられたのですが、そのときはそんなこととは全然知らず、一人息子が家に帰ってくるということだけで、Aさんたち家族は喜んでいました。今思うと、本当に悔しいし情けないと、Aさん家族は思っています。

何事もないような感じで毎日のようにメカニックとして自社の建設機械が使われている現場をまわり、メンテナンスや修理などそれなりに整備の仕事などこなせるようになったころ、震災が起こりました。そして震災後、建設機械の需要が膨大な数となり、Bさんは業務を円滑に進めるための司令塔的ポジションであるサービスフロントに抜擢されました。抜擢されたまではよかったのですが、現場をまわる整備士とは違い、事務所勤務になったため、そのとんでもない所長との接点が直接的なものとなってしまいました。営業所の中で一番若かったBさんは、周りは先輩だらけで一番立場が弱かったということもあり、その所長のパワハラの標的にされてしまいました。パワハラの一つには、暴言やいじめだけでない、例えば労働組合関係のことなど、直接息子がやるべき業務とは無関係のことまで押し付けるというのもあり、必然的に勤務時間が長くなっていき、残業は月120時間を超え、休日出勤も増えていきました。しかし、故障で現場で困っているお客さんのため、そして自分の仕事が震災からの復興の一端を担っているという想いもあったのでしょう、過重労働やパワハラに耐え、業務をただただ一生懸命にこなしていました。Bさんは、亡くなる数か月前から、「仕事に行きたくない」と漏らし、好きだった車関連のDVDや雑誌に目を向けなくなっていました。

そして、冒頭でも記したように、Bさんは自死してしまいました。遺書はなかったものの、事務所に併設されたメカニックとしての原点である整備工場の中で事に及んだということが、遺書代わりとだったと、Aさんは考えています。

Aさんは、この事業所の所長に対して、営業所の中で起こっていたことは直接の原因と、障害を含めたパワハラの事実を疑いました。そこで、労災申請を行うことにしました。しかし、会社の上層部により社員へ圧力がかかり、当初は証言をしてくれる人はいませんでした。しかし、一番の若手でありながら本当に頑張っていたBさんを、所長のパワハラから守ることができなかった、と後悔の気持ちを感じた先輩たちの証言が徐々に集まっていきました。この事業所の所長は、Bさんに対し、他の従業員らの前でも、「ばか」「死ね」と責めていたことが明らかになりました。仙台の弁護士の力を借りて、申請から一年ほどで労災の認定は行われました。また、その過程で未払い賃金などが発覚し、会社に対する是正勧告なども行われました。民事訴訟は様々な理由により行いませんでした。

多くの方に協力していただいて、労災認定を勝ち取ることはできましたが、ただ一つ言えることは、何をどうしても息子が帰ってくることはないということです。Aさんは、悔しい思いを晴らそうともがけばもがくほど、現実が突き付けられると言います。Bさんが勤めた会社は、建設機械の業界では最大手と言っていいほどの会社でした。Aさんは、それだけで良い会社だと思い込み、良い会社に就職したと一瞬でも思った自分が本当に情けなく、息子に申し訳ない気持ちになると言います。

未だになくならない過労死・過労自死、そしてパワハラなどの非常識な人としての常識の限度を超えた行為をする人間をどうすればなくせるのか。また、もしそういう人間と対峙した場合、どうすれば被害を受けることがないようにできるのか。Aさんは、遺族の一人として、この問題を、多くの被害者や問題意識をもつ仲間と共に考えていきたいと思っています。そしてそのことが、Bさんが生きた証を残すことだとも思っています。そのような考えのもと、Aさんは宮城過労死を考える家族の会に参加し、活動をしています。

新聞記事の紹介(2014年7月16日 河北新報)

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